現在の印刷技術に繋がる過去の成長・発展を
前史・紙の発明から写真の発明までの歴史を紹介。
世界で初めてつくられた金属製の朝鮮活字
木版印刷が盛んだった中国の影響を受けて、10世紀以降、お隣の朝鮮半島でも印刷技術が大いに発展し、13世紀にはきわめて本格的な仏教経典が製作されています。6,500巻に及ぶ「高麗版大蔵経」をつくったときの版木の枚数は、実に8万枚を超えていたほどです。これより先、8世紀前半に印刷された経典に、当時、仏教文化が栄えていた韓国・慶州の仏国寺で発見された「無垢浄光陀羅尼経」があります。つくられた年代がはっきりせず、もしかすると中国から贈られたものであるのかも知れないのですが、日本の「百万塔陀羅尼経」より前に印刷されていたことは確かなようです。その印刷技法が日本に伝えられ、「百万塔陀羅尼経」製作の参考になったと考えられます。
木製や陶製の活字も当然のように中国から伝わってくるのですが、13世紀の初期に独自の技術による銅活字がいち早く開発されています。朝鮮は世界に先駆けて、金属活字の実用化に成功した国となりました。ヨーロッパにおける金属活字の登場より50年も早い、世界初の画期的な出来事だったのです。14世紀末には、本格的な活字鋳造所が設立されたくらいです。13世紀前半からすでに銅活字を使って印刷していたのですから、朝鮮における印刷技術の水準は非常に高いものがありました。
この金属活字は、李朝時代になってしばらく停滞してしまったのですが、15世紀を迎えるや、ソウル市の南山地区に大規模な活字鋳造所が設置され、新しい活字書体「癸未字」が数十万本も鋳造されました。15世紀を通して、鋳造と印刷の技術がどんどん改良されていき、新書体の開発や古い活字の改鋳も進みました。これらを使って印刷した歴史書や経典解説本などが今に残っています。そうした優れた印刷物の出現により、李朝時代の朝鮮が文化的にめざましい発展を遂げたことはよく知られています。
豊臣秀吉が朝鮮半島を攻めた壬辰の乱(1592年)で、朝鮮の金属活字が日本に持ち込まれました。これを機に、日本の活版印刷が大きく前進することになったのですが、活字や鋳造具、書物などを奪われた朝鮮側の打撃は大きく、一時期、衰退を余儀なくされたのです。完全に復活する17世紀中頃まで、実に70~80年ほどの期間を要したのです。立ち直ったこの印刷法は、その後19世紀まで続いていく基礎となりました。
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