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次に心学の中にも「伝統的な心」があることをお話したいと思います。先ず資料「一目で見る江戸時代」を見て頂きたいのですが・・・
心学の勃興期の時代背景として、江戸時代を大局的に見れば、関が原の戦いの後、疑心暗鬼の幕府は国替え等で大名を締め付け、働き場所の無い大量の浪人が発生しました。元禄時代以降はコメ経済が貨幣経済へと移り、商人に陽が当たる中で特に豪商は「商い」から「金融業」へと手を広げ、大名にも貸付が進み、武士階級の窮乏が進む中で、各地に農民一揆が続き、農民の困窮と、都市への流入で、徐々に「国体・幕藩体制」が弱体化していきます。一手に社会の富が商人に集中した時代でした。「奢る商人」「悪徳商人」「儚く消える大商人」なども出現し、石田梅岩が生きた時代は 「厳しい商人批判」が続いた時代でした。
1729年に梅岩は京都の町家で、当時「学問」すると言えば 皆「授業料」を払う慣わしでしたが 町家を借りて町人庶民に向けて講席を開き、革新的に「席銭はいりません、お望みの方は奥へどうぞ、女性もどうぞ」と行灯を出して「商人の道」を中心に広く「人の道」を説くことを始め、1800年前後の時代には 「心学講舎」は31カ国131舎の多きに至ったとの記録があります。
肝心の梅岩「心学」のポイントをお話しいたします。
当時の商人批判の激しい中で 梅岩は先ず「商人の道」を説きたしとして世に出ましたので 今日は梅岩の「商人の道」に焦点を置いてご紹介したいと思います。「道」の根源は仏教では僧侶が「慈悲」を、儒教では学者が「仁・義」を、説いていますが根源の「理」は余りにも広大無辺で掴みどころが無いことから、庶民が「穏やかに・平和に」日常生活を如何に暮らすべきか、という疑問の回答にはなり難い所から、様々な人が工夫をして「道」の実践を説きました。
その中で「石田梅岩」はお釈迦様や孔孟の教えに従った行動とは「何か」を判りやすく具体的な「道話」を示して、その共通する目印として「正直・倹約・勤勉」の三徳を掲げたのでした。
この「三徳」の理解は人間にはみな天から授かった「徳性」を有し、それを「誠」といいます。三徳は「誠を尽す」の一語から出ているとの考え方から、「誠」を人に向って尽せば「正直」の意となり、「誠」を以って物に接すれば「倹約」の意に、「誠」を仕事など万事に尽せば「勤勉」の意になるという解釈になりなります。
「正直」とは表面的には約束を守ることと言えますが、約束は守り難きものという現実もあり、したがってその奥に「本心に従う」という正直の意味が隠されています。
「倹約」とは単なる「吝嗇」出費を削る、「節約」大切に長もちさせる意の他に、本質的に大切な事には出費を惜しまず、と言う心も隠されております。
使用人が夜道を集金の帰りに橋の上で川に10銭落として帰ってきたら 50銭出して「たいまつ」と人手を頼んで直ぐに探させた、其処にはお客様からの10銭の意味を大切にし、一方では50銭の出費は「世の為になっている」という道話があります。
「勤勉」とは「誠を尽す」、文字通り「一生懸命」のことですが、その意味を歌にして「勤めても、またつとめても つとめても、勤め足らぬは勤めなりけり」と述べています。
ここで商家の番頭であった「石田梅岩」の実際の特徴ある話しぶりをご紹介します。 商人の道、心得について、商家の番頭からの「商人」上がりでしたから 実に噛んで含めるが如くに易しく 至れり尽くせりの現代でも通用する説き方であることを感じ取って頂きたいと思います。
「実の商人は先も立ち、我も立つことを思うなり」との言葉がありますが「先が立つ」との「義」を説くことはあっても、「道徳」として「我も立つ」を主張することはなかった時代に、「先も立ち、我も立つ」とその微妙な先後を主張したのも石田梅岩の勇気であったと思います。「明らかにして 利を取るは商人の正直なり。利を取らぬは商人の道にあらず。」「商人のように見えて盗人あり」ともありますが、元禄のバブル景気の当時は、非常に悪徳商人も多かったようであります。
「言葉を飾らずありのままに言えば商人は正直に思われ、なんでも任されるようになるから苦労なく人の二倍は売れる。正直に思われて心を開いてくれた時に商いは成就するものだ。その妙味は学問の力がなくては判らぬもの。」
「買って貰う人に自分が養われていると考え、お客様を大切にして正直にすれば 十が八つは買い手の満足が得られます。買い手の心に適うように情をいれて勤めれば 渡世に何の心配することもない。その上第一に倹約を守り、絶えず利幅を押さえるように努めればとがめられる気遣いなく心安し。」十に八つとはえらい自信だと思います。
「商人は精しく計算をしつつ毎日を送るもの、一銭をおろそかにせず、小さな利益を重ねて財産を作るのが商人の道である。その財産の基となるのは国中の人々であり、その人々の心も自分の心と同じであり、自分が一銭を大切にする心で 売る商品を大切に扱い、少しも粗末にしないで売渡そうとすれば お客様の心も初めはお金が惜しいとは思っていても、買ったものが役立つと判れば 次第に惜しくないと思うようになるものだ。お客様に惜しくないと思う心が興り、物や貨幣が世に流通すれば 多くの人の満足に繋がることになるから、春夏秋冬が巡って全ての生き物が自ずから養われるのと同じことで、理に適っている。道理に従った商いで財産が山のようになっても欲深いとは言えない。天命の道義に適って国の人々の心を安んじることが出来れば自らも幸福になれるものだ。
商人も聖人の道も知って、我が身を正しく保たねば、正しくない道で儲けた財産はやがて家の子孫も絶えることになるので、真に子孫を愛するなら正しい道を学んだ上で栄えねばならない。」
ここで「理に適っている」の意味する所は「誠を尽して」さえいれば 「道は一つ」だから 春になれば花が自然に咲く様に 「自然に」買って頂ける様になるものだと言うのです。
またこの「真に子孫を愛するなら」の心には商家は使用人も家族の一員ですから、主人の心にはお店の永続のこと、我が家族と使用人の人生への思い、様々隠されていると言えましょうか。
使用人もある期間勤め上げれば 独立分家もさせて貰うわけですから、使用人にとっても商家の永続は他人事ではなかったとも思います。
梅岩はこれ等「商人道」の他に広く「道」をといてもおります。
「神・儒・仏」の道は一つ、と言うことを説いているところに梅岩の主張の特徴の一つがあります。お話は町人女子に面白く感じさせる為に 話の中に随処にリズムの良い歌を取り入れて興味をそがぬように工夫しております。
「王公大人より下万民に至るまで母の胎内に一滴の露を結ぶ。即ち天地の霊なり。是を神道に神明といい、佛家に仏心といい、儒に明徳という。各々自性の貴きを教える名目なり」と述べて、その意味を一言に、「難波の葦は伊勢の浜荻」と言っているのです。
「神・儒・仏」夫々教えの説き方は異なるが 究極の道の根源は「皆一つ」、同じ境地なのである、と庶民に公言したのは 革新的であったと言えましょう。
お話しましたように「心学」は北海道南部から九州まで 幕府の弾圧もなく地方の藩主は積極的に農民に啓蒙しましたので、現在の日本の総合宗教的風土の形成と農民の知性の高揚にも大いに貢献したものと考えられます。
梅岩は封建制度の真っ只中で「四民の平等」を挑戦的に次の様に説いています。
「士農工商は天下が治まる姿・形である。君は四民を治める職、君を助けるは四民の職分、士は位ある臣、工商人は市井の民、商人なければ財宝を通わすことが出来ず、天下治まらず。」
「商人の利は天下御免の武士の俸禄に同じ。商人に利無くば武士が俸禄なくして君に仕えるのと同じ。」と。
この点に梅岩は最も幕府の弾圧がないか、心配な点でしたが 一方では「お上」の法の遵守は厳しく守るのが道であると明言していたことから圧力はありませんでした。しかし 独学で学問した商人上がりの風情で「学問の講席」を開いたことへの批判や非難は強かったようです。古来 卑しめられていた商人の人間としての地位向上の為に世間に向って主張し 商人にも胸を張って「道」に従う商いをと訴えた梅岩の心が偲ばれます。
商人の職分の倫理的「危うさ」について紀元前3世紀頃の中国の著名な儒学者である「荀子」は「勇気」には4種類ある。最低の勇気は「犬や豚の勇気」であり、次に「商人と盗人の勇気」があり、更に「小人の勇気」があり、最上の「士君子の勇気」がある。
飲食を争奪して廉恥の心無く、物事の善悪をわきまえず、死傷を避けず相手の数や強さを恐れず、飽くことなく飲食だけを求めるのは「犬や豚の勇気」。
利益とあらば財貨を争奪して人に譲ることなく、図々しく立ち回り、強欲で人に逆らい、飽くことなく利益だけを貪るのは 「商人や盗人の勇気」。
死を軽んじて無茶をするのは「小人の勇気」であり、そして正義に向かって権勢になびかず、利益を顧みず、国の全てを与えられても振り向きもせず、死を重んじて正義を堅持して屈しないのはこれは「士君子の勇気」であると。
要は「商人の勇気」は 「盗人」と同じ分類で如何に危なっかしいかを物語っているのです。
「士」には「忠」という絶対的な使命感の制約があり、「農人」には自然の運行という絶対的な制約があり、「工人」には扱う素材の性質という制約がありますが、商行為には商品を「右から左へ」と移す流通させるのみの行為と言えますから、人間の自由裁量の部分が広いので人間の心の弱さが出やすく、手練手管も度が過ぎると「悪知恵」となり、事と次第によっては「犬や豚の勇気」より下と言えなくもありません。
正に商人の才覚にはこの「危うさ」と隣り合わせかも知れません。
石田梅岩と同じ時代を生きた「荻生徂徠」は激しく商人を批判しています。
根底に支給される米も米相場が商人の結託でコントロールされて 太刀打ち出来ないという腹立ちから、武家と百姓とは田地に常住の者だから、常住に宜しい様にすることが政治の根本。商人は不定なる渡世の者だから商人は潰れても構わないと。更に「高野昌蹟」は「遊民とは商人の類で耕さずして食らい織らずして着る、これ等は国家の為にはフトというもの」と。「林子平」は「町人は諸人の禄を吸い取るばかりで外に益なき者、実に無用の穀つぶしである」など等、厳しい商人批判が続きました。現在も同じかもしれません。
梅岩の言葉を整理し要約すると、商家経営の心について次の様に言えます。
「商家の主人は 使用人に憐れみ・慈悲深く接しなければならない。その様に家人に接すれば、富の主は天下の人々であるから、家人も作る人は売り物に念を入れて作り、扱い、売る立場の人は礼を尽くして売渡すように勤めるから、お客様の心も初めは金銀惜しいと思って、代物の良さと家人の応対の良さから、その惜しむ心自ずから止むべし」と。
この言葉の商家の主の心底には実際に最前線で「富の主」に常時接するのも、また支えてくれる「仕入先」の人に常時接するのもみな、家人であるとの認識があります。
商いの心を、お客様よし、自分よし、仕入先よし、の「三方よし」という言葉もあり、商家が社会の「信」を得るには、家人全員に商家の「社会貢献」の意味を理解させておく必要があると言えましょうか。
最後に「民の竈」「使用人は家族」の心、梅岩の三徳などの思い、「伝統的な心と知恵」を一言で言えば「誠を尽す」に従うこと。そして効用について お話させて頂きます。
その効用は「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」「積善の家に必ず余慶あり、積不善の家に必ず余殃あり」「天の時は 地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」ということにあると言えましょうか。
始めの三つは「誠を尽せば心を動かされない人はいない、必ず動かされるものだ、神のご加護で守られ、誠実に努力しない不善なる者には、必ず不幸に出会うと。孟子の「人の和」の言葉は事に当たってどんなに有利な状況があったとしても、自陣の心の結束が大事ということを意味します。
最後に整理しておきたいと思います。
(1) 知恵を絞って「提案」してもそれに誰も「敬意」を示さないようでは、公平公正な競争社会とは言えません。「信義を重んじる」姿勢を自ら示すことは経営者としての最大の責務ではないでしょうか。
(2) 我が家族と使用人の人生への思いが社員を大切にすることに通じ、それが「人の和に如かず」活性化につながり、社会の「信」を得る「社員」が育ちます。コンプライアンスは間違いなく経営者と社員の「心の問題」だと言えます。
(3) 経営者は「表の顔」から外れない様に。「真に良いお客様」であるほど全ての社員の良心が一致していることを見極めようとされるものです。
(4)「誠を尽す」ことの実践は言うは易く行うは難しです。その効果は絶大なることと 「誠を尽す」意義をしっかり「教育」するのも経営者の責務でしょう。
「石田梅岩の心」を実践することで、必ず皆様の会社に「好ましい社風」が生まれ、良い社 風は企業の「トータル的・力の象徴」となり、広く社会に「感心と感動」を呼び起す土壌が社内に充満し、広く企業の周辺に「芳香」を漂わせ、近寄るもの多しとなります。
皆様のご決断とご活躍をお祈りしております。
老兵のたわごとに耳を傾けて頂き有難う御座いました。 |
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