その日はまさに晴天に恵まれ、海も穏やか。その広々としたビーチで、その青年とタキシードを着たホテルマンが彼女をお迎えいたします。
しばらくしまして、その彼女はホテルからお見えになるのです。「もう近づくとともに、その満面な笑顔は今でも忘れられません」、そんな印象を青年は語ってくれています。
彼女がお見えになり、シャンペンが抜かれ、そして二人の幸せを願ってそのホテルマンは静かにホテルのほうに去っていくのです。
そういうふうにして、一人のホテルマンが、お客さまが喜んでいただける、幸せになっていただけるためには、その場面その場面でどのような最高のおもてなしをしたらいいだろうかと考える。お客さまが言葉にされないその願望やニーズを先読みをしてお応えする、そのサービスの心こそ、ホスピタリティ、心からのおもてなしであり、これがリッツ・カールトン・ホテルのサービス哲学です。
お客さまが言葉にされないその願望やニーズをいかに先読みをして、最高のおもてなしを提供してさしあげるか。一人のホテルマンは見事にすばらしいサービスを提供してくれたのです。
それから4、5日しまして、その青年から一通の感謝の手紙をいただきました。「私たち二人は、感動しました。一生の思い出をビーチで過ごさせていただきました。すばらしい感動サービスをありがとう。おかげさまで婚約も整いました」。
4枚の便箋に綴られたその感謝の手紙をいただいたホテルマンは、そのお客さまの最高の喜びがまた自らの最高の喜びである、お客さまの最高の感動がまた自らの最高の感動であるということを肌で体験し、さらにサービス精神は磨かれ、成長していってくれました。
そしてその手紙は神話になったのです。全世界のリッツ・カールトン・ホテルは、60数件あります。約2万5,000人の社員が働いております。全世界にその手紙が配信され、多くの社員が感銘を受けました。感動しました。その手紙はスタッフにすばらしい、いい影響を与えたのです。
そういうふうにして、一人のホテルマンの行為がその全スタッフに感銘を与え、感動を与え、いい影響を与える。これこそ私たちのいう最高のリーダーシップです。
まだ 23歳の部下もいない、ビーチのスタッフですよ。入社して1年そこそこ。その一人の行為が、そのお客さまの手紙を通じて全世界のリッツ・カールトン・マン、2万5,000人の社員に感銘、感動、そしていい影響を与え、すばらしいリーダーシップを発揮してくれたのです。
なぜそこまで一人のホテルマンができるのでしょうか。
私たちにはエンパワーメントを提供しているのです。権限を委譲しているんです。お客さまが喜んでいただける、幸せになっていただけるためには、あなたの判断で最高のおもてなしを提供してください。そのためには1日2,000ドル、約20万円がエンパワーメントの経費として用意されているのです。彼は1輪のバラを用意しました。おいくらでしょうか。ハーフのシャンペンを用意しました。合わせても1,000円あれば十分です。
そういうふうにして、自ら考え行動する、自立型の人間にエンパワーメントを通じて成長していってくれたのです。
「指示待ち人間」ではだめですよ。お客さまから、「椅子を二つ用意してください」「シャンペン、用意してください」「バラを一輪用意してくれませんか」と言われてやって、そこにお客さまの感動がありますでしょうか。そこにサービスする側もエネルギーが出せますでしょうか。「指示待ち人間」ではだめです。私たちは改めて、自ら考え、行動する自立型の人間をそのエンパワーメントを通じてみんなが成長していってくれる、その姿を現場でいっぱい見てきました。
今から約10年前に、日本で初めてリッツ・カールトン・ホテルが大阪に進出してきました。日本の皆さま方はまったくご存じもない無名なホテルでした。そして 292室のホテルに600 人の社員を採用します。
全世界のホテルマン、日本のホテルマン、業界を超えたいろいろな人たち、約4,000名近くの応募がありました。そのなかから外国のスタッフ、13カ国、約50名、そして日本のスタッフ、異文化の人たちも併せもっての600名の寄せ集めの集団です。
名もないホテルで、寄せ集めの集団が一つになって、2年目には、「日経ビジネス」誌で大阪地区総合1位、「週刊ダイヤモンド」で関西ナンバーワンのホテルをつくり上げました。
それから約10年近くかかりましたが、日本のホテル業界の御三家、帝国ホテル、ニューオオタニ、ホテルオークラ、新御三家とそのころいわれています、目白にあります椿山荘のフォーシーズンズホテル、新宿にありますパークハイアット、恵比寿にありますウェスティンホテル東京、これが日本を代表するクオリティの高いホテル。その常にトップランキングに入っているホテルをついに抜きまして日本一のホテルをつくり上げました。
売上もダントツです。私が京都全日空ホテルの社長をやっているとき、約300室です。どう増やしても最高にいったときが約70億円です。近隣にリッツ・カールトン・ホテルの倍、約600室の外資系のホテルがあります。100億〜110億です。それが292室しかないホテルが約120億あげる。普通では考えられない数字です。
なぜそこまで一つのホテルが成長していったか。私たちは、設備が売り物ではありません。設備というのは、超高級ホテルはどこも最高のホテルをつくっています。料理も同じです。名シェフがいらっしゃいます。材料もほとんど一緒。超高級ホテルになりますと、甲乙つけがたい。
そんななかで私たちが目指したのは、設備、料理が売り物ではありません。サービスが売り物です。そのサービスも、満足サービスは当たり前であり、いかに「感動サービス」に導くか。そんな位置づけのなかでスタートいたしました。
いよいよその600名の寄せ集めの集団は、オープンの1カ月前までに、部署ごとに徐々に集まってきます。朝、出勤して、顔も見ないで「おはようございます」といってロッカー室にいく毎日が続きます。私たち幹部は懸念しました。こんな状況のなかで600人の社員が集まったとき、どういう状況になるだろうか。
そこで私たちは、朝のあいさつを徹底して、礼に始まり礼に終わる、日本のすばらしい剣道や柔道の世界から改めてあいさつの勉強をさせていただきました。
例えば、朝、出勤したら「麻生さん、おはようございます。きょうも一日よろしくお願いいたします」、大勢いらっしゃるときは「皆さん、おはようございます。きょうも一日よろしくお願いいたします」、帰りは「麻生さん、ごくろうさまでした。お先に失礼させていただきます。明日もよろしくお願いいたします」という。
徹底して名前をお呼びしよう、そして笑顔でアイコンタクト、目を見て、そして心のキーワードは「信頼をつくろう、日本一のホテルをつくろう、世界一のホテルをつくろう」、そういう気持ちをもってみんなにあいさつするように指導いたしました。 |